男役は女性のなかにある要素で理想の人間像を体現した存在

宝塚の男役の体現するもの ヅカ道

人間には男性性と女性性があって、それぞれにコインの裏表のような質を持っています。性格における、良く出るとおおらかだけど、悪く出ると雑、だとか、よく出ると繊細、悪く出ると傷つきやすい、のように。

男役に見る人間像は、女性に見られる男性性のうちの良い部分だけをフィルターにかけて雑味を取り除くことで、理想の人間を体現したようなものじゃないか、と思うときがあります。男役さんが、特にからっとした明るさのある役を演じるときに、女性が見せる男前な一面だな、と思うことがあるから。

すごく男前な行動って、男性がするぶんには特にどうと言うこともなく。。。でも女性の「男前」は特別感があって胸がスカッとします。ギャップ萌えの要素も入るというか、、なにか静かなものが強さに変換されるような瞬発力のある「男前」が女性のそれ、だと思うのです。

一番わかりやすい例が1982年映画「鬼龍院花子の生涯」での有名なセリフ「なめたらいかんぜよ!」このセリフが言われるのは、喪服姿の松恵(夏目雅子)が夫の生家で追い払われるシーンです。ただ凄むのではなくて、夫の分骨を果たすため、否定してきた自身の複雑な環境をあえて肯定するかのような利用するような啖呵を切る、という悲しくもしなやかな強さが表現されたシーン。

男性がこのシーンをどう見るかはわかりませんが、女性の場合は、ただ単にかっこいいな、と思って見ることは少ないのでは?わたしの場合は、ここぞというときってあるのだな~、みたいな想いが湧きました。怖気づいていないでやるときはやらないといけない、みたいな自分を奮い立たせる必要性を感じた。(宮尾登美子著の原作小説にはないセリフだそうです)

また、男らしさ、を体現しようとする過程で、女性らしさを示唆する一切を排することで、一般的に「女々しい」とされるような要素が排除されていきます。

正義の味方的な要素がない役でも、なんだか世直ししてくれそうな、世の中の理不尽と戦って守ってくれそうな気さえする。

宝塚GRAPH2021年5月号の「こんな珠城りょうを見てみたい」に掲載されたトップ3の職業が、パイロット、医者、教師でした。月組の組子投票1位のパイロットを除き、2位の医者と3位の教師に、なぜか清廉潔白や公明正大を重ねてしまい…。ただのかっこいいお医者さんと先生を思い浮かべてもいいのに、なぜ?と不思議に思いました。

珠城さんがそんな感じの扮装写真を撮られてた、っていうのもありますけど。普通に椅子に座っている写真なのに、一番先に浮かんだ言葉はかっこいいじゃなく生徒に平等に接するという意味での『平等』だった。😅😅😅

元花組トップスター明日海りお氏が、2016年に「ME AND MY GIRL」で主役を演じられたとき、何があっても恋人サリーとの愛を貫き通すビルのことを理想の男性であると語られていました。このミュージカルがそう描いているというよりは、宝塚の男役が演じるビル像がそういう仕上がりになってしまうのではないでしょうか?

一方、娘役さんのなかに見るのは、女性がお料理を取り分けてくれる優しさ。女性があくまでさりげなく取り分けてくれるとき(女性が取り分けるべきと言ってるわけじゃないよ、誰か近くの人がやったらいいはなし)、あー優しいな、って静かに感動する感じを体現しているのが娘役さん。

娘役さんが体現するものには、強さもあります。役における力強さ、ダンスにおける力強さ。歌を高音低音駆使してハモったり、アクセサリー手作りしたり、なにかと負担のかかりそうな作業を、黙々とやり遂げているところ、など。男性像をつくるのに女性的要素を排するのとは逆で、女性を強調するために消さずにむしろ、元来女性にある強さとして、時には何倍にもなって表される。

男役さんにも男役という芸術を心から愛して極めていこう、という気概があるけど、それは男役が花形だから当然のこと。娘役の気概は、男役を目指してなんぼの世界ではさらに強固なものになる一面も。

ファンもそれを期待していて、あからさまに3歩下がってついていく女性像を見せられるのを一番良しとしない観客なんじゃ?と思うくらい。

それは、娘役が強いとそれを絶賛し、もっと強くやれ!と思ったりするときに表れます。

珠城りょうサヨナラショー@宝塚で披露されたデュエットダンス。曲は「故郷」で、美園さくら嬢が長いカールのポニーテールかつらをかぶっていたので、珠さまのカフスのあたりに髪が絡まって、取るのに10秒くらい?かかった事件がありました。

東京公演では、髪型を変える選択もあっただろうに、何も変わらなかった。おふたりで話し合って、さくらちゃんの右半身を越えて手を出さなければ、中央に垂れている髪に触れることはないから安全、という結論になったんだろうとは思うものの、さくら嬢が押し通したかのような気分に(妄想上で)なって、なんとなくうれしかった。お団子にすれば何の問題もないけど、そこは娘役のこだわりを貫徹してほしい、という変な期待がある。不思議なんですけど。

複雑なのは、娘役さんを当然女性視して「仲間」として捉えている面があるので、男役さんから守られるべき存在のようにも感じる点。転ばないように支えてあげなよ、みたいな。舞台外で発言量の差などはあるかもですが、舞台上であるのは身長差のみ。

おれたちの○○視、ですね。海乃美月嬢が、博多座で上演中の「Dream Chaser -新たな夢へ-」のダンス中、転びそうになったためしゃがんで回避したみたいで、それを周囲の男役さんたちが注意を払って見ていた、みたいなツイートを読みました。そのようすが学園ドラマの映像として脳内再生されるの何なんでしょうかー。🤨🤨🤨(3年月組の男子全員で、美月を守れ!てきな)

こうして考えてみると、男役さんは、女性の男前な一面、娘役さんは、女性本来の細やかでしなやかな一面、と、どちらも女性のなかにある美しいものを体現している。しかも雑味をろ過して、もはや、理想の人間像の域に…。結論:男性の要素はほとんど無し。

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