上田久美子という演出家は天才で「どてらい女(やつ)」だ。京都大学卒業後に2年勤めた製薬会社での経験を総括した言葉を読んだときからそう思っていました。
2016年にBOOKOUTジャーナルで発表されたインタビューには、こうあります。
なかでも、上田さんの中に強く残ったのが「生きるのは大変なんだ」という学び。
「相手が年下であっても上司ならば頭を下げなければいけない、理不尽なこともあれば、どんなにやりがいを感じていても異動で他部署に飛ばされることだってある……でも、家族や生活のために会社を辞めるわけにはいかない。そうやって、何年も仕事を続けている人が沢山いる。これが“生きる”ということなんだ、と。好きなことを仕事にしている人はごくわずか、大多数がそうやって生きていることを改めて実感したんですよね」
これを読んだときに、作品を書いて舞台を創り上げていくという世界にいる人の言葉とは思えない、真逆のサラリーマン人生を2年間だけとはいえ実際に体験した人なんだなー、と思いました。
それ以来、編集Jのなかでのうえくみ先生は会社員をやったことがある、という印象が強かった。
ただ、うえくみ先生のインタビューの特徴として、内容が多岐で奥も深いため、インタビュー毎に印象が違う。上記のインタビューはけっこう普通の人っぽい印象。
2013年にスカイステージで放送された「演出家プリズム 未来への扉#3上田久美子」で拝見した先生はとっても天才肌な感じがしました。(やっぱ頭が良い人は違うわー、という印象。見た目もおしゃれだしね)
今回見つけた京都大学によるインタビュー、2020年3月26日付け。それなんか、生い立ちのところで、いきなり「生まれ育ったのは、天理の山の麓にある農村です。3世代家族で、家は昔ながらの日本家屋。トイレもお風呂も外にあるという具合でしたから、新興住宅地の洋風建築に住んでいる核家族がすごく羨ましくて。当時は自分のことをなんて不幸なんだ、と思っていました」とあります。これで確信。骨太な生い立ちだから、どてらいヤツ。でもすごく苦しんで作品を書いているとも思えないしなーー、だからやっぱり天才でもある。
退団後の2022年4月23日に読売新聞オンラインに掲載された記事では、引き留めつつ穏便退職を可能にした劇団に「浪花節の残る温かい会社だと思います」とコメント。
でも浪花節なのはうえくみ先生ご自身だよ。トイレが外にある農村から第23回読売演劇大賞・優秀演出家賞ですよ。(賞はどうでもいい、その作品群で多くの人々を感動させたという意味で大出世認定!)
ご本人も、、フランス留学を経て「ここに行けたら就活の勝ち組だ、という企業ばかりにエントリーしていたんです」というくらいだから、そういうスタート地点から現在はずいぶん違うところにたどり着きましたね。
9作品での退団
2016年のインタビュー時は、3作品(月雲、翼ある人びと、星逢一夜)だった実績。そこから、金色の砂漠、神々の土地、BADDY、フライングサパー、フォルティッシッシモ、桜嵐記の6作品を追加しての退団となりました。
どの作品も強烈な印象を残した。そしてどれも「らしい」部分はあるのですが、新鮮な驚き要素もあって、全体として良い流れがあると思いませんか?
編集Jにとってのうえくみ先生作品群の特徴は、女子がキュンとする瞬間や関係性のモチーフがあって、それを中心に物語が展開する、そう感じられる点です。男女の愛が貫かれるのは近代文明が作り上げた虚像だ、と思っていらっしゃるそうなのですが、だからちょっと王道の恋愛成就から外れた関係性を描く傾向にあったのか、宝塚の舞台に合わせてご本人なりの愛のカタチ描くことが多かったのか、どちらでしょう?
「BADDY」と「桜嵐記」には思い入れもあるし、ウエクミイズムが詰まっていますが、太い胸キュンの柱が典型的に「神々の土地」に貫かれている感じがします。退団(2022年3月末だったそうです)に驚いてから、ロシアが舞台ということもあって、最近よくこの作品のことを考えます。
この勇退の花道インタビューのような読売オンラインの記事には、想像するよりも深い退団の理由が書かれていました。これから作品でお名前を聞くことがあろうことを想像していましたが、こんな風に”振り返りインタビュー”みたいなものがあると思わなかったので、必要以上にインパクトがありました。
宝塚に入ってから10年くらいはあまりにも視野きょうさくで必死でやってきたけど、余裕ができた数年前から「あれ?」と思った。そこでこの十数年のあいだに何が起こったのか一回、フォローしなきゃなと思い、本とか読んで勉強しました。そして社会を世界を知れば知るほど、私たちが追いつけないぐらいの速度で変化していた。ちゃんとそこを見ないといけないと、仕事とは関係なく、いち個人として思った。
いつの間にか革新的な物書きとしてのイメージを持ってしまっていましたが、実際はそこに留まらない人物だった、ということなのかなー、と。さらなるご活躍とご武運(!)を、お祈りしております。


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