2019年公開映画「アラジン」との不思議な出会いについては、”アジャストメントとホログラムのはなし” に書きました。とあるディズニーオタクAさんの最悪ぐらいの評価をなぜか最高と勘違いして見に行った、というもの。映画の場合はチケット難はないので、どんな作品でもとりあえず見とけばいいし、結果、見てよかったので勘違いブラボーでした。
曲が素敵なので、ブルーレイを入手して見返したら、彼の主張もわからなくもない。プリンスになる価値のある男性がプリンセスに出会うはなしだと捉えていたけど、Aさんにとってアラジンはプリンセスの愛に値するほどの人物に見えなかったようですな。。。
1992年公開のアニメアラジンのほうが青年感が強い感じはするかな。
実写版のほうは、エジプト系カナダ人のメナ・マスード氏が演じているのですが、等身大で素敵なのに、ちょっと軽い感じはするかもしれません。
マスード氏の歌がとっても素直で、ど真ん中好みなんです。メイキング映像を見ると、ヨルダンの砂漠ロケや、ダンスシーンなど、かなり役者の実力が出る(CGの依存度が見た目より低い)つくり方だと感じましたよ。でも、Aさんはお気に召さなかった。総合的にアニメからのグレードダウンを感じたのでしょう。
実写版のなかで琴線に触れた部分が二つありました。ひとつは、四季ミュージカルで「理想の相棒」と訳されている曲、”Friend Like Me” のリズムセクション強めのアレンジ。もうひとつが、”One Jump Ahead”「逃げ足なら負けない」における同じくリズムセクション強めの仕上がり、それに足して映像の疾走感。これにより、”One Jump Ahead” のリプライズに哀愁が増して聞こえて、アラジンがコソ泥としての生活を憂い自分にはもっと価値があると歌うシーンにグッときました。
思ったより悲しげな映画だな、とも思えました。もとから箸休めメロディーに反応する性質だし。マスード氏のリプライズにMVP差しあげたい!
アメリカン!
ということで、こういう胸躍る疾走感と、それに対比する美しくも哀しいリプライズを期待して、四季版の舞台を観に行ったら、うーん、曲が多すぎた。
(アニメーションでは使われなかったナンバーに書き下ろしを足して、映画9曲+復活ナンバー5曲+書き下ろしナンバー5曲=計19曲、とあります!)
ミュージカルの醍醐味はリプライズじゃないの?という想いが。。。
ただでさえ、メリハリのハリが多くて、終始大音量だったので、歌が心に届いてくる割合が少なめでした。曲数が多ければ1曲1曲が埋もれる。。。音響の関係か、歌声も埋もれる。。。(ちなみに、生オケをやめたそうなので、声と録音がうまくミックスされて届いていないのかもしれません。機材がー、とかそういうことは素人なのでわかりません!)
構成の問題もあります。これは、ディズニー・シアトリカル・プロダクションズ製作作品の日本版なので、仕方ないのですが。このミュージカルには以下の3つのものが欠けていると感じました。
1.日本人のなかにある中東あたりのエキゾチック王国のプリンセス像 2.含蓄や想像を掻き立てるために敢えて何かを隠したり、ここぞと出すみたいな手法 3.ちゃんと落ちがあるジョークと笑わせるための間のとり方
主人公はもっとバーーンと登場させてほしい、とか、みんなが聞いたことある “A Whole New World”「新しい世界」を最大化と、他の曲のリプライズによる畳みかけ必須!(宝塚脳な反応で、これは先に陳謝します🙇♀️)
日本語に置き直したミュージカルの明日を想って、言わせていただけば、、
登場人物の中身が全部アメリカンなんです。ジョークもアメリカン。アラビアのアグラバーというミステリアスな王国なんだけど、中の人はアメリカ人。絶妙な間をジョークの前と後に入れて笑いを取りにいくべきところ、観客が笑わないうちに次のセリフに言っちゃって、もったいない感じでした。そういうスピード感もアメリカンなんだと思います。
劇団四季の演者は、作品の構成部分であり、一人の役者のエゴでアドリブを入れたいしない、みたいなおはなしをされているのを見たことがあります。途中で間をのばすことは推奨されていないのだとは思います。もう少し笑いが意訳されてるといいのに。
「アラジン」は、アニメ、映画、四季の舞台、すべてを通じて不変なことが一点。それは、心温まる家族で見られるエンタメ作品であるということ。観劇日、お隣の女性陣が、○○さんが好きそうだから誘いたい、というおはなしで盛り上がっていました。その方たちが満足する確率は高いものの、ミュージカルの醍醐味を味わい尽くせるか、、という疑問は残りそうです。
(実写版の続編製作の便りあり。2022年あたりに公開になるのでは?という噂になっております)



コメント