血沸き肉躍る作品が大好き。
スカーレット・ピンパーネルは、小池先生の潤色のおかげで、すっきりとした冒険活劇になっております。
フランス王太子、ルイ・シャルル(ルイ17世)の救出劇をからめたことにより、主人公パーシーが、スカーレット・ピンパーネルとして暗躍していたことを、妻マルグリットがルイ・シャルルのちょっとした一言で悟る、という劇的な瞬間をつくりだしました。
それに続く場面では、変装したパーシーが登場し、ステージで歌う妻の歌を聞いて、彼女が『既に事実を知っている』ことを、これまた悟る、という巧みな展開。原作とも、オリジナルのブロードウェイミュージカルとも違う、フランス王太子救出(史実にあらず)という勧善懲悪ストーリー。
冒頭、助けた貴族シュザンヌに、名前を聞かれ「スカーレットピンパーネル」と言ったあとに、
「それは、紅はこべの紋章のことでしょう?本当のお名前は?」と問いただされ、
「それは申し上げられません!!!」
↑ここで、既にわくわくします。(2010年月組版では、涙が出ました。)
第2幕の半ばで、ルイ・シャルルのセリフ「だって彼こそが、ス...」を受け、
「...ス、カーレット、、ピンパーネル!」(良かった、気付いたね!)
そして、最後の対決のきっかけとして、
「わたしがスカーレットピンパーネルだからだ!」
ここ↑で拍手喝采!!!
原作/ナン・ナイトン版/小池版スカーレット・ピンパーネル比較
このミュージカル「スカーレット・ピンパーネル」は、ヒーロー+その仲間でつくるヒーロー団がフランス革命時に暗躍するという1905年の小説がベースになっています。小説の原型は舞台、小説になってから、再びすぐ舞台化されロンドン、ウエスト・エンドのヒット作に、、という具合に舞台と相性が良い物語り。

原作発表のその後、数十年にわたりゾロ、スーパーマン、バットマンなどのコミックが続々登場したことから、ヒーローものの原点だ、とも言われています。
つまり、スーパーマンやバットマンには、往々にして弱っちい世を忍ぶ仮の姿がある、それは、そのヒーローぶりの裏返しでもある、そういう設定の元祖。スカーレット・ピンパーネルでは、世を忍ぶ仮の姿=主人公の貴族パーシー・ブレイクニーが遊びほうけている姿。
日本でいうと、鞍馬天狗(くらまてんぐ)です。
ウィキペディアには、鞍馬天狗=大佛次郎の幕末を舞台にした時代小説シリーズに登場する神出鬼没の勤王志士(きんのうしし)である剣士が名乗る名である、とあります。きんのう、というのは王に忠義を尽くすこと、なのだとか。パーシーの国王に対する姿勢もそれに近いです。悪役ショーヴランに対し、フランス政府は「国王を処刑した政府」である、と揶揄していますから。
原作→ナン・ナイトン作ミュージカル→小池先生潤色の変化を↓まとめてみました。
原作: マルグリットは、弟のアルマンを助けてほしいと懇願したあとにパーシーが去ったので、夫の正体を知る。脅されたマルグリットがショーヴランにパーシーの情報を提供したことにより、ショーブランはパーシーがスカーレットピンパールだと知る。 ナン・ナイトン作品: マルグリットはアルマンと一緒に逮捕され、ピンパーネル団に救われたので、夫の正体を知る。グラパン(パーシーの変装)がショーヴランに、パーシーがスカーレットピンパーネルだと告げる。 小池潤色宝塚作品: パーシーがスカーレットピンパーネルだと知る王太子ルイのちょっとした一言でマルグリットは夫の正体を悟る。ショーブランは、グラパンが変装を解くまで何も知らない。
どうです?どう見ても小池先生潤色バージョンが一番の冒険活劇ですよね!
2010年月組版は、効果が少し足され、映画館公開されたようです。
この舞台を広く世間に知ってもらおうという気運があったのでしょうか。劇場でご覧になった方々の感想では、一般のお客さんがそのストーリーに素直に驚いた様子が見てとれました。でも、なぜか終わった映画のそのあとに、出演者が踊り歌うショーがついてくるという通常運転の宝塚仕様にびっくりしていた様子も。😆😆😆😆😆
わたしの愛するこの作品、再演してほしい。複雑なストーリーをうまく再構築した素晴らしい作品なので。出演者×作品力で魅力が何倍にもなる作品でもあります。[お好きなスター2人の名前]さんがパーシーとショーヴランを演じる!となったら、どうしても見たくなりませんか?
ハリウッドの、実写版でもいいな。映画版レ・ミゼラブルのように。王宮ばりの美しい邸宅で、パーシーとマルグリットが踊るシーンが見たい。18世紀のパリの街の様子とか、馬車とかの情景に重ねて、あまり重苦しくならないストーリーを映画として見るのも素敵でしょうね。舞台セットや装置もいいけど、ロケ多用の実写だったら映えるでしょうねー。
スカピンだったら、気分がスカッとするだろうし。😉


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