以前から、女子フィギュアスケートのトリプルアクセルを評価できるのは、トリプルアクセルを飛べる人だけ、だと思っていました。トリプルアクセル飛んだことがある女性スケーターってのは、世界中で約10人なので、人口のほとんどが除外?
何かをやってみて、全く歯が立たず、それができる人ってすごい、という肌感覚はすこしでもやってみないと分らないのではないかなー、と思うからです。わたしは、フィギュアスケーターのすごさが肌感覚でわからないので、フィギュア経験のあるお友達に聞いてみました。
こう聞きました。
スケート靴って履いてるとやっぱ痛いの?
人によっては合っているスケート靴ならけっこう長時間でも履いていられるのかも、と思ったからなのですが、答えは、やっぱり履いているとジンジンしてくる、とのことでした。それくらいしか自分ごととして理解できないので、そういう聞き方になりました。
批判ばかりしていると、終いには、そんなに言うなら自分でやってみなよ!と言われてしまいそうだと思う状況に遭遇したことありませんか?新規プロジェクトの立ち上げでもいいし、お芝居でも歌でも。
実際やってみて、意外とある程度できちゃった、なら批評OK。全くできなかったら?
軽々しく批評できないな、という意識が芽生えるはず。そのうえで、できるだけ真摯に批評する、ことは可能です。
トリプルアクセルの例でいえば、トリプルアクセルをはじめとする難易度の高いジャンプができる人が圧倒的に少ないというのは誰でも理解できるし、見るからに人間離れしている。でも、競技会場で見ているだけ、と、一度試しに自分で飛んでみた(←完全にファンタジーの域だけど)後では感じ方が違ってくると思います。
立場や成果にあぐらをかいている人、もしくは、何を言われても全く気にしない人がこの世には存在しないわけじゃない。でも大多数は真面目で何か言われたら気にしすぎる人が多いので、気を付けないと。
2006年公開の映画「フラガール」を見たときすごく沁みた言葉があります。谷川紀美子(蒼井優)の母親(富司純子)のセリフです。彼女は、常福島県いわき市の常磐炭鉱を閉鎖後の活路として創設されるハワイアンセンターに懐疑的だし、自分の娘がフラダンスチームに参加することにも反対です。
その頑なな心が溶け始めたときに言うセリフが↓こうです。
【意訳】仕事というのは(炭鉱に象徴される)歯を食いしばってするものだったが、踊って人様に喜んでもらえる仕事があっていい。そういうダンサーたちがみんなが笑顔で働ける、そんな新しい時代がくるのかもしれない。
歯を食いしばってする仕事、というのは個人差があって、グレー企業などで頑張らされた経験があったりしてわかる、となるか、楽しい仕事しかしたことないから何歯を食いしばるって?となる人もいるかもしれません。ただ現在のスパリゾートハワイアンズの開業年である1966年くらいまでは、歯を食いしばる仕事も多かったのは事実。
このセリフを聞いたときに、仕事がつらいのは大前提として疑問を持たない時代に、フラダンスは遊びにしか見えないだろうなー、という実感がありました。また、考え方ひとつで、ものごとの定義まで変わることの象徴のようなセリフだな、と。。。
現代を生きるわたしたちがエンタメを鑑賞する態度も、究極ポジティブ、でいいのでは?芸事の道が厳しいのは昔も今も変わりないけれど、観るほうまで厳しい必要はありません。そのうえで、自分の意見はまっすぐに表明し、人の意見も曲げずに解釈したい。誰が誰を愛しても許されるせかーい、いつか必ずやってくるはず~♪♪
表面だけを見ている、見せられている
2019年に退団された美弥るりかさまは、2017年上演されたグランドホテルで、オットー・クリンゲラインを演じましたが、オットー役は、1993年に涼風真世さまが退団公演で演じた主役でした。
出典不明で申し訳ないのですが、特別監修のトミー・チューン氏が「♪グランドホテルにて」を弱弱しく歌うよう指導した、というのをどこかで目にしました。
涼風さんはご本人の退団公演で演じる主役なので歌いきってしまってもいいけど、この2017年新バージョンのグラントホテルに存在しているオットーは自分で死にそうと言っている人物です。主役はあくまで男爵(生気あふれる珠城りょう)です。歌い上げたら変ですもんね。納得です。
この例では、たまたまインタビューとかなにかの記事で、そういう発言ができる場があったにすぎません。
さまざまな場面にさまざまな事情があって、表舞台や、ものごとの表面に出てくる部分だけを見ている側の人間には計り知れないことがある、ということです。
もうひとつ例を挙げますと、「ロミオとジュリエット」のキャピュレット夫人を演じた憧花ゆりのさまが「♪La Haine 憎しみ」は地声で歌うよう指導を受けたとおっしゃていたことがありました。この曲、高音はファルセットを駆使して繊細に歌う、という楽曲では全くないので、えー、地声で歌えって言われるの!?とは思いません。なので、方向性を示された程度ではあります。
○○さんの感性で自由に歌っていいよー、っていうときもあると思いますが。たいていは 「♪La Haine 憎しみ」 の例のように、こう歌いなさい、こう踊りなさい、という指示があるということに気付かされました。
外部舞台でも演出家に演出をつけてもらうのは同じですが、タカラジェンヌはプロであっても、個々の技術と魅力を買われて作品ごとに雇われている俳優とは違い、舞台の全体像に沿ったパフォーマンスをする必要があります。
歌ウマOGの安蘭けいさまが、2019年の「マグノリアホール10周年記念スペシャル 安蘭けい×遠野あすか」のなかで、作曲家の故寺田瀧雄先生からカラオケに行くなと言われたエピソードを挙げていました。自己満足系半径2メートル唱法に傾かせない策だったに違いありません。
歌が上手だとか、感動させるとか、、客観評価は難しいだけでなく、舞台上でミュージカルのなかで歌う場合、単なるウタじゃない、ということを再認識させられたエピソードでした。
コアファンからライトに至るまで、大部分のファンは自分のセンスに響くものを真摯に受け止める方々ばかりです。ジェンヌさんがよく、温かく見守ってくださって、と口にされますが、美しいものへのセンサーを全開にして観劇しているだけで、見守ってなんかいませんよーー!!価値あるものを、鑑賞・堪能させていただいているのです!!
最近、2021年8月号の歌劇を読んだ珠城りょうファンが、思わず「!」となった一行がありました。🥺🥺🥺 過ぎ去ったことですが、ちょっと胸が痛くなり、、自戒の意味も込めて、批判と批評について語っておかなければ、と思った次第です。🙇♀️🙇♀️🙇♀️


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